Although Atwell addresses the practical question of assigning grades, her main focus in this chapter is how evaluations can "nuture" students by helping them reflect on their learning and encouraging them to set goals to "do it better next time" (p.327). Atwell currently works in a program that does not give grades because "A student's incentive is THE WORK ITSELF" (p.321素晴らしい!). Evaluation consists of student self-assessment, teacher assessment, and a three-way conference including parents.
- Student self-assessment is done using a end-of-term questionnaire including a mix of specific questions (how many pieces did you write?) and global questions (how have you grown as a writer? etc., p.303-12 have many question samples).
- Teacher evaluation by Atwell is done by reviewing the student's portfolio of writings, journal, spelling/editing checklists and other evidence to see active participation in the workshop according to the guidelines.
- Another part of teacher evaluation is measuring progress toward a set of goals that the student and Atwell set together (mostly by Atwell's listing of what she thinks are "two or three high priority goals" p.315 for the student) at the end of the previous term. Apparently Atwell writes down goals she thinks the student should pursue and the student adds one or more.
- She never grades individual pieces of writing, and she tries to value the attempt to try something difficult or new, even if it fails (p.313).
- The three-way evaluation conference with parents is only mentioned and not explained--it seems to be more of a showcase than an evaluation. She also seem to have a teacher-student evaluation conference, where she poses a set of evaluation questions such as "What does someone have to be in order to be a good writer?" and students need to answer them orally while she takes notes. Students need to prepare for this oral exam like evaluation conference.
サマリーにあるように興味深い要点はいろいろあるが、最も自分が問いたい点は根本的なところ:
p. 301 "...I have to figure out how to put students' self-appraisals at the heart of the evaluation process." Atwellは自己評価こそ最も重要な評価として位置づけるべきと論じている。この哲学は良さそうに聞こえるが、実際にやるのは難しい。自分もまだ試行錯誤中である。
私が80~90年代に受けた学校教育に自己評価は殆どなかった。今の日本の教育界にもまだ少ない気がする。しかし、アメリカの教育記事では非常に良く目にする。評価は先生が下すものという常識から一歩離れて考えると、自己評価こそが最も大事というのは当然である。それは何故か?卒業をして学校を離れたらもう先生もテストも成績もない訳で、問題は自立してどんな仕事や学習ができるかである。勿論言いつけられた仕事をやって上司や顧客を喜ばすことは成績に似ている部分もあるからそれを上手にやるのも大事かも知れないが、どんなことでも上達するためには自分の現状を把握し、目標を立て、工夫して学習し、再度自己評価して目標を新たに立てるサイクルが必用である。それを小学校でも大学でも中心的に位置づけることは教育者の義務と言える。
ただ、教師としては教師評価の方が楽である。難しい課題やテストをやらせて、他の生徒より上手にできたり、先生の目から見て態度が良ければAやいい点数をあげればいい。どうしてわざわざ専門家でない学生に自己評価をさせるのか。最終的に成績をつけるのは先生なんだから、先生の評価だけでいいじゃないか。学生はそれを見て、「もっと頑張ろう」と思えばいいじゃないか。そもそも学生の自己評価を読むのは面倒だ。読んだ上に、またこっちもコメントを書かなきゃいけない。しかも、たいていの場合、基準や目標を設定したのは自分だから学生が書いたこと以外にこっちが言いたいことはいろいろある。基準を先生が設定したら、その基準に生徒が至ったかどうか評価するべきなのは先生ではないか?
では、どっちが中心なのか?ここ一年ほど自己評価に傾きつつあるが、まだ方針が曖昧なので、自分の中でここではっきり決めたい。
結論、意思もあまりなくロボットのように言われたことばかりをやるような学習者ではなく、自立・自律した学習者を自分は育てたいので、やはり自己評価を中心にしたい。そしてAtwellのように学生の自己評価と教師評価を上手に融合させたい。
自己評価と教師評価の理想的な融合とは:
1)学生は「良いもの」の一般的な基準・目標を良く理解していて、それに向けて努力や工夫をし、自分の作品集や学習実績に対してある程度正確な自己評価をくだす。そして仲間同士の評価の交換により自己評価の中身もより豊かにする。自己評価の過程において「良いもの」の基準をより熟知するし、自分の目標もより明確に見えてくるはずである。自分がある目標に向けて行った努力がどのような実を結んだのか、その過程を意識することにもつながる。そしてそのWriting, Reading, Mathなどの分野において「自分の目標」を設定し、それについて語ることが上手になる。
2)教師は上記の自己評価を助けることが最大の役割。「良いもの」の一般的な基準を学生と共に考えるための例を示し、経験から語り、理解を深めることを助ける。そして学生の作品集や学習の実績か価値を見つけ出し(=Valuing)、励まして更なる努力や試行錯誤を促す。また、思慮深く振り返って自己評価する方法や目標設定する方法を教え、例を見せる。学びの先輩として、それからその分野の専門家として作品を話し合う中で目標設定を手伝うことも大きな助けになる。目標設定を助けるためにはその生徒のことを普段から見てできる限りメモを残すことも大切。
こうやって書き出してみると素晴らしいように思う。しかし、自分の授業に当てはめてみると完全に行うのは課題が山積みである。
- 例えば、WritingやSpeakingのクラスで「良いもの」を共に考えるより、自分が「これが良いWriting/Speakingだ」と一方的に説明している。例を示して一緒に基準の項目リストを作るなど、まだまだ改善が必要。今のプログラムの中ではそんな時間がないという言い訳でやっていないが、やればできる。
- 課題のDesignにおいてもまだ評価基準に「自己評価をした」「Peer評価をした」という項目が評価対象として入っていない課題がある。これも改善が必要。
- 何が良い「自己評価」なのかという基準もまだ良く分かっていない。Atwellもかなり毎年変えているらしいが、どんな自己評価の質問が意味があるのか。
- 2~3ヶ月だけの短い時間共に学習する場合、目標設定をして、それに対するProgressを測るのは難しい部分もある。設定だけしても、その後に何かフォローしないと意味がないが、どういうフォローアップができるのか。
- Effort‘・Participationをどう測るのか。Portfolio, Journal, 日頃の態度、ある程度客観的にできるが、最終的には主観的なものだから教師としての自分の感を信じる必要がある。これは難しい場合もある。
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