教員仲間で話題になったので、8月1日の朝日新聞の東大の斎藤氏の『学校で「使える英語」なんて幻想だ』というインタビュー記事を読みました。残念ながらネット版はないようで、記事の全文は紹介できません。
しかし、記事で斉藤氏が言っていることが現在の日本の中高大の英語教育に建設的に貢献するとは思えません。みなさんも是非読んで考えてみてください。英語教育について良い事も所々主張していますが、記事の主旨には異論を発信したいと思います。
斎藤氏の言いたいことの趣旨は以下の引用に集約されています:
「(中高でつくるべき土台とは)文法をきちんと教え、英文を正確に読めるようにする。文法と訳読の基本を身に着けておけば会話力も高度な運用能力も自分で伸ばしていくことができます。」
斎藤氏が書いたとおり、中高大の外国語教育の目標は間違えなく「土台づくり」にあるのですが、問題はどういう「土台」が最も幅広く学生たちに役に立つかです。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの4技能の基礎が高校・大学卒業時にその生徒なりにバランスよくできていること、そして何よりも英語力の向上と国際交流に前向きな態度が持てているいることが目指すべき目標かと私は思いますが、みなさんいかがでしょうか?勿論、バランスを目指しても、授業の時間配分的にどれに重点を置くか選択肢が迫られる場合もあるでしょうから、その場合はそのコースの学生たちの受験・キャリア想定などのニーズに合わせれば良いのではないでしょうか。文法と読解ができることはもちろん大切です。それは誰も否定しませんし、会話ばかりやるような高校があるとしたらそれは問題です。しかし文法や読解と同じぐらい発音も含める会話力、そしてライティングの「土台」も欠かせませんし、4技能はお互いに補い合うのでオーラル・コミュニケーションを伸ばすことは文法力を徹底的に習得することにも繋がります。
しかし、私が編集されたインタビューの主旨を正しく理解していれば、斎藤さんは文法と訳読の基本さえ教師が鍛えてあげれば他の「高度運用能力~聞く・話す・書く」は自分で根性と自習でどうにかすればいいという主張です。文法と読解を日本語で先生が中高の授業で解説していれば学生が将来「根性」で英語ができるようになるという論に見えるのは間違えでしょうか。編集ミスであることを祈ります。そういうケースもあるかも知れませんが、限られた学生にしか役に立たない教育観に見えます。
訳読の問題点を指摘している研究は沢山ありますが、ここでは自分の経験から語ります。
私はワシントン大学の中国語の授業で訳読を2学期ほど経験しましたが、最悪でした。先生としては「はい、次の行、マークくん読んで訳して」とほぼ準備なしで行えるので楽でしょうが、学生からすると非常に退屈です。授業に行きたいと思いません。そして意味を理解する以外の感想、意見交換などはないので、内容に興味を持つこともできません。自分で読みたいものを選ぶことも、自分のペースで進めることもできないので教授の趣味に付き合わされるだけです。もちろん、外国語のテキストを母語に正確に訳すという活動は独学や宿題として効果的な場合もありますが、「使える英語」の基礎を作る中高において授業の主軸に位置づけてはいけないと思います。
もし斎藤氏のこの記事を読んで「中高生はやはり訳読でよい」と思うような教育者がいたら悲劇だと思います。現に一部ブログでは支持意見が出ているので怖いです。もちろん、安易な会話練習に偏りすぎたり、文法や文章読解力がつかないような授業をしている場合は教え方の改善が必要ですが、改善の方法が訳読中心の授業への逆戻りになっては英語の教育効果も学生のやる気も低下すると私は予想します。
単語力、文法力、読解力を身につけるのは非常に大事です。しかし、先生が授業の前に立って日本語解説でやっていく手法では身に付かないので。リーディング、リスニング、そしてコミュニケーション活動に文法を理解・運用させるfocus on formやstructured outputを混ぜながら「わかった、使えた、意思が通じた」というプロセスを少しづつ踏むことが大事です。教師主導でなく、個人・ピア・グループの活動を工夫して様々な伝え合いが授業の中でおこるように進めることもとても大事です。また、場合によっては日本語解説も有益なので英語だけで授業を進めることを全面的に強制することには反対ですが、可能なかぎり外国語の授業は先生が外国語で進めることが理想的だと思います。
最後に、記事の中で斎藤氏の「根性仮説」というのが出てきてちょっと笑えました。Effort Hypothesisというのでしょうか。第二言語の習得は主に根性によるという持論のようです。記事の文脈では冗談ではないようでしたが、冗談であることを祈ります。
個人の努力による独学(多読・多聴・音読・書き取りなど)は確かに非常に大事ですし、学生にそれを意識させたり、楽して上手になれるという妄想を取り払ったり、独学法をシラバスに入れて経験させることは必要です。しかし外国語教育者としての責任はそれだけではありません。様々な学習者のタイプがそれぞれ必要や興味に応じて4技能をバランスよく伸ばすことができるようにカリキュラムをつくり、活動を工夫していかなくてはいけません。「主に根性」が上達の原理ならば団塊世代の日本人の多くはすでに英語運用の達人になっているでしょう。しかし実態はそうではないと思います。
そういうわけで、「中高で教えるべきは文法と訳読」そして「大事なのは根性」というのはあまり建設的な意見に思えません。様々な専門家から強い反論の記事が載ることを期待します!
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